2018年4月28日土曜日

レッドロビン


 レッドロビンの花が咲いた。
 家の塀は、もともとカイヅカイブキの生け垣だったのだが、これがどんどんと枝がはびこってしまって、道路に張り出すようになってしまったので、思い切ってこれを伐採し、かわりにでしゃばらない生け垣として、レッドロビンを植えた。
 家のあたりには、この木の生け垣も多く、よく手入れされたそれは、一年を通じて枝先だけに赤い葉が伸びて、青い下葉とのコントラストが美しい。
 しかし、この木に花が咲くということは、じつはついぞ知らなかった。
 知らずにいたら、今年初めて、たくさん花が咲いた。ちょっとかわいらしいアジサイ風の花で、赤い葉によく映えて上品である。こんな愛らしい花が咲いただけでも、レッドロビンの生け垣にしたのは正解だったと、満足しているところである。

2018年4月26日木曜日

擂り流し


 由来金沢は大藩の城下町ゆえ、文化的に水準の高い町である。したがって、お料理などもまことに格調高く、往古より伝承されている上つ方の料理流儀である四条流の名人なども、この町にはいる。そして、日本海の海の幸、美味しい米を始めとして、山海の美味珍味に富む、まことに床しい土地柄である。
 その名産の一つに加賀蓮根というのがあって、蓮根料理もまた、加賀料理に特色あるものだと聞いている。
 というわけで、私は、富山の高志の国文学館の講演を終えてから、そのまま金沢に移動し、同地のモリスハウスにおいてデュオ・ドットラーレの練習に励んだのであった。
 練習が始まる前に、ハスネテラスというレストランで軽食をいただいたのだが、私はここに行くと、かならず「蓮根の擂り流しうどん」というのを食べることにしている。
 上品な出汁に、蓮根の卸したのを加えて煮ると、その上質な澱粉によって、全体がドロリとした感じになる。そこに讃岐うどんを加えたというスタイルのもの。もともと擂り流しという料理は、白身の魚肉を叩いて擂って、それを出汁に和して煮るという江戸中期から伝わっている古典的な料理だが、この蓮根の擂り流しは、魚肉を加えず、ただ蓮根を擂ったものでトロミ風味を出すという趣向である。薬味には、卸生姜と刻み青葱を加える。
 これが熱々で、すこぶる旨い。
 そこで、その味をよく吟味し、製法を案じながら喰ってきたので、自宅に戻ってさっそく試作したところ、とてもおいしくできた。ただ、饂飩のかわりに、炊き立てのコシヒカリに掛けてみたところ、うどんに負けず劣らず美味しい「蓮根の擂り流しご飯」ができた。写真がそれであるが、薬味には卸し生姜と刻み青葱、それにちょっと二十日大根のスプラウトが加えてある。なにかごつごつとして見えるのは、敢えて擂らずにざく切りにして加えた蓮根で、これは歯ごたえを楽しむための工夫である。
 たいへんに結構なお味でありました。

大伴家持の旅


 4月22日に、富山の高志の国文学館の招きで講演に行ってきた。高志の国というのは、「越の国」で、つまり越前・越中・越後を総称しての「越の国」の「越」の万葉仮名表記である。現在の富山は、昔の越中で、そのなかでも、いまは高岡市に属するところに、万葉集時代の越中国司が置かれていた。
 この国衙は、今の小矢部川・・・昔の射水川の左岸にあったが、大伴家持は、三十代の時分に越中国司としてこの地に単身赴任していたのである。
 その時代に夥しい歌を詠んで、多くが万葉集に収載されている。私自身は家持の専門家でもなんでもないが、万葉集については、むかしいくらか勉強したこともあるので、今回は、万葉集のなかから、すべての家持の歌を読み直して、そのうち私が興味を引かれる歌どもを選び出してあれこれ話をした。
 講演に先立って、前日富山に入ったので、さっそくにその国衙のあったところの探索を試みた。そこは今勝興寺という大きなお寺になっていて、写真はその本堂で写した。この寺は江戸時代寛政年間の建立なので、江戸時代らしい建物ゆえ、万葉時代の風情は残っていない。ただ、それでも、むかしこの辺りに建っていた国衙に家持がいて、射水川のあたりを逍遥したであろうと思うと、不思議に懐かしい気がした。
 講演はおかげさまで超満員の盛況で、大碩学中西進館長や畏友北山吉明ドクター御夫妻もお聴き下さるなか、まあ楽しく100分ほど話してきた。
 講演の後、金沢に北山ドクターと連れ立って戻り、その夜は金沢モリスハウスで、デュオ・ドットラーレの練習に励んだというわけである。

2018年4月1日日曜日

悲歌集、六度目の公演


 いやはや、皆様また長いこと更新をせずにおりましたこと、心よりおわび申し上げます。
 言い訳ではないのですが、じつは三月初旬にかなり重症の帯状疱疹を発症して、ひたすらその闘病に明け暮れておりました。ともかく痛みがひどいので、なかなか仕事もできず、当面の仕事はすべてキャンセルさせてもらって、楽しみにしていた句会も三月は休会とし、ひたすら養生の日々でした。
 おかげさまで、皮膚の症状はもう治りましたが、後遺症の神経の痛みがひどくて、この対策に追われています。とはいえ、いちおう元気になって、仕事はすべて再開しました。
 ただ、『(改訂新修)謹訳源氏物語』の文庫版の第六巻は、ほんとうは4月刊行の予定でしたが、この病気でままならず、一ヶ月延期して五月の刊行となりましたことを、お詫びかたがたお知らせいたします。
 さて、きのうは、武蔵小金井の宮地楽器ホール(小金井市民交流センター)大ホールにおいて、十年前に制作した演劇的組歌曲『悲歌集』(野平一郎作曲)が六回目の上演となりました。演奏メンバーは初演の津田ホール(本作はもともと津田ホールの委嘱作品)以来一貫して変わらず、テノール望月哲也、メゾソプラノ林美智子、ギター福田進一、フルート佐久間由美子、といずれ劣らぬヴィルトゥオーゾ揃い。なにしろこの曲は、演奏がきわめて難しい超絶技巧作品で、そうそう誰にでもできるというものではありません。その名手たちが、今回六回目とあって、習熟を重ねた結果、作品解釈もいよいよ深まり、演奏は見事ですこぶる聞き応えがあり、演奏会として大成功であったと思います。
 また特筆すべきことは、この宮地楽器ホールのきわめて優れた音響で、歌い手は楽々と響かせて歌うことができるため疲れず、ギターのような繊細な楽器も見事に響かせてくっきりと聞かせてくれます。フルートもソフトな響きを聞かせて余蘊なく、しかも歌の言葉は明瞭に聞き取れる、という恐らく声楽コンサート会場としては、日本屈指のホールであることを実感した一日でした。
 写真は、終演後同ホールにおいて撮影した記念写真で、左から、望月哲也、私、福田進一、野平一郎、林美智子、佐久間由美子と作者と演奏者の面々、そして右端はこの作品を最初に委嘱してくれた旧津田ホールの楠瀬壽賀子さん。