2015年11月26日木曜日

自家製たくあん


 毎年、秋になって、三浦あたりの良い大根が出回るようになると、私の家では決まって沢庵を作る。
 なに、沢庵といっても別になんということはない。
 まずこれを紐で縛って、二階の軒下に吊るし、さよう、10日くらい干しておく。もし雨がふったら室内に取り入れて濡れぬようにしておく、そこがちょっと面倒だ。
 白くつやつやとしていた大根が、晴天10日くらいで、シワシワの沢庵的相貌に変じてくるので、そしたら軒下からおろし、こんどは、糠床に漬ける。
 この糠床は、今年で三十年になる秘蔵愛玩のそれで、大きなタッパーに入れて養っているのである。もとは結婚当初に、母がもう何十年と養っていた糠の一部をもらって種糠としたのをかわいがっていたのだが、一家でイギリスに行ったことで一時断絶、その後また帰国してから母の糠を再度もらって育て、今にいたっている。これを、一年中冷蔵庫のなかで静かに寝かせているのが一つのコツで、現在の自宅は二階に台所があるので、気温が高すぎて室温で糠床を管理するのは特に夏場に難しい。折々に糠を足し、たまった水は抜き、味を増すためにときどきヤクルトなどを投入したり、秋なら庭で生った柿(まったく無農薬)の皮を剥いて混ぜ込んだりする。これでじつに味の良い風味豊かな糠床が育つ。
 この自慢の糠床に干し上げた大根をそっと漬け込んで、それからだいたい二週間ほどで、ちょうどよい頃合いになる。
 なんの色素も加えないのに、写真のような淡い黄色になるから不思議である。味は塩味・甘味・酸味がバランスよく調和し、自然で奥深いまことに好風味となる。この自家製たくあんを食べてしまうと、買ったものはとても口に合わなくなる。大した手間でもないので、毎年そうやってたくあんを作るのが冬場の楽しみである。

2015年11月5日木曜日

忙中閑

この秋は、例年以上に講演などのスケジュールが過密で、もうずっと休みの日とてない状態が続いている。
 さるなかにも、この4日5日の二日間、信濃大町の山荘の冬じまい仕事と、それに僅かな休暇を兼ねて行ってきた。
 あちらでは、いまや紅葉の真っ盛りで、いわゆる綾羅錦繍というべき山河の景色は、まさに筆舌に尽くしがたい美しさであった。
 写真は、大町から糸魚川に向かう、いわゆる糸魚川街道から見た青木湖である。天には碧空、遠景に白雪の北アルプス、中景には紅葉の里山、そして青木湖の碧き湖水、ちかくはまた枯れつつあるススキ。もう此れ以上のお膳立ては考えられないくらいの、「日本の秋」がそこにあった。
 きょう五日は、まっすぐに中央高速から帰らないで、敢えて少し遠回りした。白馬村から長野往還の道筋を取り、九十九折の山岳道路を抜けて、山奥の孤村鬼無里に至る。そこで、名物「いろは堂」のお焼きを土産に買い、ついでに、旅の駅で地元名産の大根なども仕入れた。いろは堂は、すぐ裏手に「いろはな」という洒落たカフェを開いているので、そこで、お焼き生地のドーナツなどたべた。
 さらに往くこと山路を五里、道は下って長野市街に至る。そこで善光寺さんにお参りしてから、あとは高速をひた走って帰ってきた。
 まことに目の保養心の保養になるような忙中の閑日であった。

2015年11月2日月曜日

謹訳平家物語 第二巻刊行

 ながらくお待たせしておりましたが、やっと『謹訳平家物語』の第二巻が店頭に並ぶ運びとなりました。
 第二巻は、原典の巻四から巻六までの三巻を収めています。第一巻は、まだ平家全盛のころのさまざまなエピソードを描き出していましたが、第二巻になると、さしも全盛を誇った平家にも落日の影が忍び寄ります。
 それにしたがって、源三位頼政に主導された反平家の謀反が勃発、これはただちに鎮圧されるに至りますが、しかし、高倉宮がこの謀反に一味して誅殺されます。が、平家の落日を引き戻すことはできず、南都興福寺との間にも戦火が広がり、清盛は業を煮やして福原遷都の奇策に出ます。けれどもこれもうまく行かず、関東の頼朝を中心に各地の源氏が蜂起、一斉に反旗を翻すなかで、英明の君であった高倉上皇も崩御、やがて清盛も熱病によって死ぬ・・・こうして世は騒々しく動きはじめ、次第に平家の落ち目が明らかになっていく・・・というところまでが、この第二巻に語られますが、その戦乱の話のはざまに、小督の局の恋物語など、哀切な名場面、名文のところも次々と現われて、まことに読みでのある一巻です。
 どうぞみなさまぜひ、第一巻につづき、第二巻のご購読を賜りますように。