2011年7月30日土曜日

良心の叫び

 この画像は、次のURLで観ることができます。YouTubeの動画です。


 この動画は、東大の先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授が、去る27日に衆議院の厚生労働委員会で参考人として証言した壮絶なる演説のすべてであります。
 私は、この演説をさる友人から教えられて見ました。そして、まさにこの、良心の叫びそのものの鬼気迫る演説に落涙を禁じ得ませんでした。ああ、東大の学者のなかにも、こういうまともな人がいるのだと、ほんとうに嬉しく思いました。
 そうして、かかる国家の一大事に、命がけで(真実命がけのことだったと思います)こういう演説をし、怠慢にして金権にまみれた政治家や原子力村の御用学者たちに痛棒を与えた、この事実を、すくなくともテレビのニュースはただの一言も報道しませんでした。新聞などはどうだか承知していませんが、まともに報道していないことは確かです。そのくせ、原発が稼働しないと日本が大変なことになる、というような、相も変わらぬ「原発推進利権派のプロパガンダ」を、日本エネルギー経済研究所が試算して発表した、などという記事は大々的に報じています。このエネ研というのは、現理事長も東大法科を出て通産官僚から資源エネルギー庁を経て天降った人物です。そういう人がやっている政府系研究所の試算には、大々的な注目をして、本当のことを勇気をもって証言して国家百年の将来を愁えてくださった真の愛国者の証言には、一顧だに与えない、そんな愚かな腐敗したジャーナリズムの姿は見るだに哀しいものです。この証言と、ナニガシの芸能人が妊娠しただの破局しただのという、愚にもつかないゴシップと、どちらが大切か、心ある人はみな見ています。
 政治家たちも、喪志の放送人も、おそらく歴史の指弾を受けるであろうと、今から長生きしてそのときを待ちたいとすら思います。
 どうか皆さま、この児玉教授の火を吐くような演説をご覧ください。そして一人でも多くのご知友に、これを周知してくださるように、ここから一つのムーヴメントが起こるように、そして、愛する日本の国が恐ろしい放射能にこれ以上汚染されないように、どうかお力をお貸しください。
 日本に、いや世界じゅうに、そもそも死の灰を処理する方法のない原発などあってはいけない、私はそう考えます。

2011年7月24日日曜日

BBS

 先日来、突然にわがBBSが読込めなくなってしまって、面食らっておいでの方もあろうかと思うので、ひとことお断り申し上げる。
 実は、このBBSはライブドアが管理運営していたサイトを利用していたのであるが、最近は、BBSという形はもう旧式で、多くの人がフェイスブックとかツイッターとか、そちらのほうに移行し、こういうサイトを運営しているメリットがなくなったせいであろう、ある日突然に打ち切りが宣言されて、これまでに書き入れられた夥しい文章もろとも、問答無用に削除消去されてしまったのであった。これに代るものを模索中であるが、当サイトを管理している番頭の話では、どうももはやこういうBBSのようなものはなくなってきているらしい。それで現在このところを閉鎖して、今後どうするか検討中ゆえ、当面はこの部分はなくなったものとしてご諒恕を庶幾う次第である。

やぶがらし

 人は笑うかもしれないが、私はこの写真のヤブガラシというつる草を愛好することただならぬものがある。その「薮枯らし」を意味する和名からみても分かるように、非常に非常に繁殖力の強い多年性の草で(それゆえ、園芸家はこれを蛇蝎のごとく忌み嫌って見付け次第に抜き捨てるけれど、ああ、そういう人は美しいものを見る目がないのであろう)、しかも毎年春に新芽を出して、夏には喬木の天辺にいたるほどの壮絶ないきおいで伸びる。この堂々たる生命力は、葉にも花にも漲っていて、どんな日照りにもピンと背筋が伸びているので、見ているとこちらも元気になるほど、すばらしい躍動感を感じさせてくれる。園芸品種の脆弱な植物が、せいぜい水をやり、肥料を施し、殺虫剤を撒いてやらなくては生き残れないのとは正反対に、何もせず、何もやらず、しかしこの草は独立孤高、まことに市井の片隅に生きて行くことを応援してくれるような気がする。昔からこの草が繁茂すると他の草木が枯れて、いかにも貧乏臭い感じがするというので、ビンボウカズラなどという名で貶められたりもするが、とんでもないことである。わが愛するヤブガラシは、若芽若葉は茹でで食用になり、豊富な栄養をもつばかりか、その根は烏斂苺(ウレンボ)という名の漢方薬剤で、鎮痛解熱などの効果がある。しかもこの花のなんと造形的で美しいこと!まるで現代芸術のように、見れども飽かぬ色と形を持っている。この草を私は決して抜かせない。そうして夏になって我が庭のマテバシイやナツユキカズラの上に這い登ってきて、時を得顔に陽光に輝いているのを見ると、ああ嬉しいなあ、きれいだなあと思うのである。

2011年7月18日月曜日

グリーンカーテン、その後

 ながらく更新を怠っておりまして、もうしわけありません。
 さて、先のこの日記で、グリーンカーテン用にゴーヤの苗を買ってきて、大仕事の植え付けをしたことを報告しておいたけれど、その後どうなったか。
 ゴーヤは非常に速やかに伸びて、たちまち背丈ほどにもなる。そこで天をつめてやると、脇芽が伸びて、より良く繁茂するという教えにしたがって、そのようにしているのだが、おもったほどには「カーテン」状態にはならない。なんだか葉っぱがちらほらしているという程度で、あまり遮光性は著しくないのであった。
 まだこの先多少は繁茂するであろうと期待しているところなのだが、はやくも実がついた。花はたくさん咲くのだが、あんがいと実らない。歩留まりは非常に悪くて無駄花がおおいのがゴーヤの特色らしい。
 それでも現在、12本うえた苗に、三個の実が成っている。
 なにしろ、日差しは強いところへもってきて、植木鉢なのでどうしても保水が弱く、すぐに葉がしおれる。一日に三回も水をやらなくてはならぬ。
 やれやれ、これではやはり地面に植えないと思ったほどには育たぬのだろうかと思いつつ、ひたすらゴーヤ君に励ましの言葉をかけているところである。

2011年7月4日月曜日

慶応女子高の教え子たち

 七月二日の土曜日、慶応女子高でかつて私が教えた教え子たちが集まって、私の講話を聞く会を開いてくれた。去年にも開催したのだが、またやろうというので、二十人あまり、忙しいなかを集まってくれた。和気靄々、じつに楽しい空気がそこにあって、たちどころに三十五年ほども昔に戻った思いを味わった。彼女たちも、いまはみんな立派なお母さんであったり、社会人であったりするのだが、しかし、不思議にほんわかとした、品格ある雰囲気があって、みな人柄のよい感じが好ましい。私にとっては、慶応の女子高は、心のふるさとのようなところで、そこで教えた六年間は、たいへんだったけれど、とても楽しい年月でもあった。生徒たちはみな優秀で、教育というものが、基本的に人間に対する信頼に基づいてなされるのだという一種の理想主義が、そこにたしかに息づいていた、とでも言ったらよかろうか。私は女子高では非常勤の講師に過ぎなかったが、そのまま専任の教諭になりたいと思っていた。が、その願いは叶わなかった。そのときは残念だったが、それはそれでよかったのだと今は思う。そしてこうして、一介の非常勤講師に過ぎなかった私を囲んで、こんな心楽しい会を開いてくれることのありがたさ。私はつくづく慶応義塾に学んで、そして教えて、よかったなあと思うのである。