2011年2月28日月曜日

つながるラジオ

きょうは、午後四時五分から、NHKラジオ第一放送の、つながるラジオ、「ラジオ井戸端会議」という毎度おなじみの番組に出演。生放送で、「卒業アルバムを開いてみませんか」というのをやってきた。写真は、司会の柿沼郭アナ、石山智恵アナ、のお二人といっしょに。出演依頼を受けた最初は、「卒業」という漠然としたテーマだったのだが、ディレクターと話していくうちに、もっと絞って卒業アルバムに焦点を当てようと決定。すると、このテーマはリスナーの心に響くらしく、たちまちメールやファックスが殺到して嬉しい悲鳴状態だった。放送そのものも、司会のお二人の楽しいお人柄に導かれて、大変楽しく終えることができた。四月からは、こんどは私がメインのスピーカーとなって、あたらしい二時間枠の番組がはじまる。午後三時から五時まで、ラジオエッセイとでもいうような感じで、そのなかには謹訳源氏の朗読やら、音楽やら、いろいろ盛りだくさんにと思っているので、どうぞ御期待ください。全国放送です。

2011年2月24日木曜日

ハマグリのようなシジミ

 まず、このシジミの巨大なことをご覧いただきたい。隣に置いた500円硬貨と比較すると、その巨大さがわかるというものだ。江戸時代の物の本には、シジミもしかるべき場所でよく養いたてるとハマグリほどの大きさになる、と書いてあるのだが、まさか、シジミがハマグリにはなるまいと思っていたところ、きょう、さるところで、ふとこの巨大なシジミを見付けて、吃驚した。なるほど江戸時代の人は嘘は書かなかったのだなあと、今さらながら脱帽である。このシジミは青森県産とあったから、いずれ十三湖かあのあたりで産したものかと思われる。これほど大きなシジミは見た事がなかったので、さっそくシジミ汁にして食おうと思ったが、作ってみたら、なんだか機械油のような匂いがしてちっとも美味しくないので、食べずに捨てた。巨大なシジミかならずしも美味とは言えないということである。

2011年2月19日土曜日

小金井の市民交流センター


 私の住む小金井市の表玄関、武蔵小金井駅の南口が、駅開業以来の大改造によって生まれ変わり、それまでの田舎駅然としたたたずまいは一掃されて、近代的都市の風貌になった。
 その駅前広場に新築されたのが、市民交流センターという殺風景な名前の多目的ホールで、その客席の写真がこれである。座席数570.ちょうど使い勝手のいい大きさで、しかも中央線駅前0分という好立地、音響もすばらしく、かつ使用料は非常に安い、というので、今後の運営が期待される。このホールを、政治生命をかけて実現したのが、この写真でいっしょに写っている稲葉市長。もう長いおつきあいになるが、人柄のよい、つきあいやすい市長である。

2011年2月7日月曜日

謹訳源氏物語第五巻

 わが、『謹訳源氏物語』も、ついに第五巻が世に出た。もう全国どこの本屋さんにも店頭に出ているはずと思われる。そこへ折よくNHKの週刊ブックレビューの番組のなかで、この本を特集してくれて、児玉清さんと、守本奈実アナウンサーとで、懇切に紹介してくださった。まことにありがたいことである。
 現在、その先の第六巻を書き進めているところであるが、これもできれば五月中には出したいものと、これから捩り鉢巻きというところである。やっと半分来た、あと半分。さあ、がんばろう。

2011年2月4日金曜日

豆腐の天ぷら

 揚物は原則として食べないことにしてはいるのだが、ときどき無性に食べたくなる。で、きょうは、豆腐の天ぷらを作って食べた。
 これは木綿豆腐を一口に切って、軽く塩して、ペーパータオルに挟んで軽く重石をかける。こうすると水気が抜けてしっかりしてくる。塩味はしっかりと豆腐にしみ込んでいるので、さっと洗って余分の塩を落とし、またすっかり水気をふき取ってから、小麦粉を冷水で溶いただけの衣につけて比較的高温でからりと揚げる。
 これがね、サクサクして、淡い塩味があって、じつに美味しいのであります。禅寺の精進料理というか、あまりの旨さについつい食い過ぎて、今日は胃が重い、ははは。

2011年2月1日火曜日

源氏物語と禁煙演説

 さる1月30日の午後、ちょっと足を伸ばして、横浜市栄区公会堂で行われた栄未来塾という催しで、『源氏物語』の話をしてきたのだが、じつはこの未来塾の肝いりをしているのが、関口正俊神奈川県議で、今回もその関口さんのご依頼ででかけたのであった。そしてこの関口県議は、神奈川県の受動喫煙防止条例の制定にむけて大いに力を尽されたかたで、今回の集まりもその一環という性格を持っていた。そこで、私は、与えられた時間のなかから冒頭の十五分を割いて、熱烈なる禁煙・嫌煙の演説をしたところ、場内からは、大変おおきな、そして賛同の反応をいただいた。今や国民の八割九割は非喫煙という時代だ。喫煙などするのは、不見識にして自己中心的、かつ無教養なる人間だといってよろしい。そしてそういう身勝手な一部の人間たちのために、大多数の無辜の人々が受動喫煙による大きなリスクと不愉快に曝されているのである。こんごとも、あらゆる機会をとらえて、徹底批判ののろしを上げるつもりでいる。