2011年1月27日木曜日

熱海起雲閣の壮麗

 24日25日の両日、熱海まで行ってきた。といっても、物見遊山に行ったわけではない。ちかく刊行されるポプラ社のムックで、ウォーキングの特集をするというので、わざわざ熱海まで歩きの取材・撮影に行ってきたのである。熱海はなにしろ平地のないところで、どこも山坂ばかり、ことのほかに足腰が疲れた。この写真は、市内の有形歴史文化財指定建築の起雲閣のなかで取った。この建物は内田信也、根津嘉一郎、と受け継がれながら増築され整備された富豪の別荘であったが、戦後になって高級旅館として経営され、文豪たちが愛したことでも知られている。今は熱海市の所有管理にかかる文化財である。この別荘は、和式建築のほうはまあ普通のものだが、後の増築にかかる洋風棟のほうは、アーツ&クラフツや、スパニッシュなど、創建当時流行の粋を凝らした設計で、じつに見事で重厚な洋風(和洋折衷的だが)建築になっている。しばらく細部に見とれてしまった。この素晴らしい職人仕事! 今はなかなかこういう建築は作る事ができなくなった。

2011年1月20日木曜日

日だまりの春

 年が明けてから、東京は毎日例外なく快晴で、気温は低いけれど気持ちよく明るい日々が続いている。こういう日々のなか、日だまりには、早くも春の気配が萌しているのを発見することがある。
 たとえば、今日歩いていたら、これも日だまりに植えられたユキヤナギの枝々に一面にちいさんな芽がふくらみ、ところどころ白い花さえ咲き出しているのをみつけた。ああ、小さい春とはこれだな、と思って写真を撮った。
 小金井の里では、もう梅も綻び始めた。
 若草も萌えそめた。
 いよいよ春は、本格的に始動しはじめている。

2011年1月18日火曜日

受動喫煙を撲滅せよ

 16日の日曜日、私ははるばると船橋まで演説をしにでかけた。
 千葉のタバコ問題を考える会、という団体に頼まれて、受動喫煙防止のための基調演説をしたのである。この写真は、その演説が終わったあと、同会の役員の方々と撮った記念写真。今日、受動喫煙の問題は、世界中できわめて先鋭的な取り組みが進み、今や西欧先進国では、公共の空間で喫煙できるところはほとんど存在しなくなっていると言っていいのだが、世界の先進国のなかで、もっともこの問題の取り組みが遅れているのがわが日本である。おそらくそれは、JTという国策会社の株を半分以上も財務省が持っていて、この依存性の強い毒物を国家が国民に販売し、その依存性の奴隷たらしめて金を稼ぐという、清朝末期のアヘンよりも悪い状態にあることが、根本の原因であろうかと私は考えている。この状況を打破するには、要するに喫煙しない人たちが、大いに声を上げ、行動をして、喫煙に対する「不寛容」を表明することが大切である。分煙などはごまかしであって、何の解決にもならぬ。子供の立ち入るファミレスでさえ完全禁煙でないなどということがあっていいものかどうか、良識ある大人はどうかよく考えて欲しい。分煙などしても、そこで働いている未成年者・非喫煙の従業員は深刻な受動喫煙に曝されるのである。雇用者も、そこを考えないと、大変なことになる。

サイン本販売のお知らせ

まもなく、『謹訳源氏物語』第五巻、刊行になります。実際に書店の店頭に並ぶのは、都内の大手書店は二月二日ころ、一般には二月五日ころの予定です。ところで、今回、この本のサイン入りの本を通信販売で手に入れることができるようになりました。書籍取次大手の日販の通販サイトで、その予約を受付中です。詳しくは、


をご覧ください。第五巻は、もう校了してまもなく見本刷りも上がってくるかと思いますので、それができ次第に、この日記のなかでまたご紹介します。サイン入りを御希望の方は、上記のサイトにアクセスしてください。

2011年1月13日木曜日

晩白柚のマーマレード

ある知人が晩白柚(バンペイユウ)という果物を贈ってくれた。これが人の頭ほどもある巨大な柑橘類で、しかも、部屋に置いておくだけで芳香があたりに満ちるというほどよい香りのするものである。そうして、果実も甘味と酸味がほどよく調和して結構にいただけるのだが、同時に又、この分厚い皮を適宜処理して甘く砂糖煮にすると好箇のお茶菓子になる。ただ、その砂糖煮を作るのは猛烈に手間ひまのかかる面倒な仕事なのだ。私は、しかし、せっかくの珍しいものを無駄にはしたくないし、この砂糖煮の美味しさはまた一段のものなので、面倒を厭わず作ってみた。ただし、砂糖煮のお菓子にするのでなく、ちょっとアレンジして、白ワインとレモン果汁を加えることで、香り高いマーマレードにしてみた。作り始めてから出来上がりまで一時間半以上かかったが、大きなガラス瓶に二つほどできた。パンに載せて食べてみると、その甘露なる美味しさはまことに格別であった。

2011年1月12日水曜日

NHK文化センター

きのうは、青山のNHK文化センターの依頼で、一回だけの特別講義をやってきた。テーマは『源氏物語のおもしろさ』ということだったのだが、今回取り上げたテーマは「葵上」。このちょっと影の薄い女君を巡って、じつはどういう人間像がそこに描かれているのか、くわしく読解して論じてきたところである。受講者は三十人程度であったけれど、みなさん大変に熱心で話しやすかった。なお、この講演の一部(全部ではないのであるが)は、いずれNHKラジオで放送される予定になっている。

2011年1月11日火曜日

成人の日特集

 きょうは成人の日で、世の中はお休みだったが、私はNHKで生放送の仕事をしてきた。いつもだったら関西には放送されない「ラジオ井戸端会議」という番組なのだが、きょうは成人の日特集ということで、全国放送、夜の六時から八時までという特別枠で放送をした。『リンボウ先生と語る 大人って何?』というテーマのトーク番組で、ゲストは、今を時めくAKB48の松原夏海さん、菊地あやかさんの妙齢まさに花のごときお二人と、大人になりきれない大人という社会現象を鋭く衝いた著作や発言で注目を集めている精神科医の片田珠美さん、それに司会の柿沼・石山両アナウンサーと、そういうメンバーで、二時間たっぷりと話した。AKBのお二人は、とても礼儀正しく、しっかりとした考え方の、きっと幸福な少女時代を過して大きくなったのだろうなという感じのする、好感のもてる人柄とお見受けした。今後AKB48の方々と御一緒する機会はもうないだろうと思うので、きょうは、よい経験をできた。なおこの放送は、NHKのウェブサイトに、アーカイヴとしてアップされていて、放送風景の写真などとともに音声も随時聴く事ができるという話である。聞き逃したかたは、そちらでどうぞ。そういえば、菊地あやかさんがブログに、きょうプレゼントした謹訳源氏物語のことなどを書いてくれた。興味あるかたは、http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/category_5/を。

2011年1月8日土曜日

サツマイモ讚

 どうもじつに、サツマイモというものは旨い。
 この写真は、鳴門の金時をば、甘く煮たものであるが、色もよし、香りもよし、また味もよし、ついでに食物繊維やビタミン豊富で、しかもカロリーは比較的に低いという、結構至極の食品がサツマイモである。
 サツマイモは焼き芋にしてもむろん旨いけれど、このように甘く煮たものは、作るのが容易で、しかも食事のときのおかずにもなるからありがたい。
 芋の中では、サツマイモが最も煮易いもので、ジャガイモなどとちがって直ぐに柔らかくなるし、味もつけやすいから、失敗という事はまずない。芋など食わぬなどという偏屈なる男がいるのは、まことに解しがたい。

2011年1月6日木曜日

身分証明書

 これは、私の父、雄二郎がフランスの政府留学生としてパリに滞在中に使用していた身分証明書である。1959年の発行だから、当時父は43歳であった。先日古い資料を整理していたところ、この証明書を発見、ただちに写真を撮っておいた。この写真でみても、我が父親ながら、じつにハンサムで、ちょっと役人にしておくのはもったいないくらいだったと思うほどだが、いかんせん背が低いのが欠点であった。これに対して、私の母は、当時としては大変に大柄な人で、両親はいわゆる「蚤の夫婦」であったけれど、その母親の長身遺伝子は、父の短躯遺伝子によって簡単に凌駕されてしまったとみえて、私ども子供たちは誰一人背が高くならなかった。まことに遺憾なる事実である。しかし、父はこの時フランス政府の経済計画を学んで帰り、これが後の高度成長政策を背後でささえる力となったのである。1959年といえば、まだまだ日本は貧しい時代であったから、父のフランス生活はまことに貧寒なものであったという。その後、父は経済企画庁の経済研究所長から東京工大の教授に転じ、そのあとトヨタ財団を皮切りにフィランソロピーの世界に進んだ。後にフランス政府から、レジオンドヌール・シュヴァリエ勲章を受け、日本の知仏派の代表的知識人の一人となった。今その父は94歳で、日々元気に近所を散歩して歩いている。

2011年1月4日火曜日

だしとコンニャク

 正月のテレビはしょうもないけれど、たまたま寝そべって見ていたら、松岡修造の『食いしん坊万歳』の回顧編をやっていた。そこで、山形の郷土料理の「だし」というものを作っているのを見た。作り方は至極簡単で、要するに各種野菜を生でみじん切りにして醤油をかけるというだけのものなのだ。色々な野菜を入れることで、野菜から自然の出汁がでるから「だし」と呼ぶのだそうである。さっそく、きょうそれを真似て作ってみた。冷蔵庫を探ったところ、白菜、キュウリ、人参、茄子、生姜、柚子、などがあったので、ともあれこれらをみなみじん切りにして、まな板のうえで良く叩き、減塩醤油と、柚子を搾って少々風味を加えた。で、それが上の写真であるが、これがほんとうに不思議なほどにおいしい。あいにくといまは冬のさなかだが、これを、茗荷だとか青じそなどを加えた夏野菜で作ったらさらに旨いだろう。家によっては昆布など入れる場合もある由だから、ちょうど今うちにある「がごめ昆布」などを少々加えたら、ネバが良く出てさぞ旨かろう。料理というものは、複雑なことをすれば美味しいというものではなく、極意は、いかにして素材の旨みを活かすか、そこにかかっている。写真の向こうの鉢は、糸魚川の手製コンニャクの煎り煮である。これまた最高に旨いにもかかわらず、カロリーはほとんどゼロ。結構至極なる逸品。

2011年1月2日日曜日

ボストン夫人の面影

 まことに時の経つことの速やかなる、あたかも白駒(はくく)の隙(げき)を過(よぎ)るが如し。この写真は、1987年の1月17日に撮影されたものだから、もう24年も前のことになる。四半世紀近い年月が、またたく間に流れたのだ。この写真の老婦人こそ、私のイギリス生活をもっとも実り豊かなものにしてくださった大恩人であるルーシー・マリア・ボストン夫人その人である。このとき94歳くらいだったろうか。そのグローブのようにがっしりと大きな手で、私どもの息子と娘の手を握ってニコニコしている。彼女の、優しい、そして品格ある人柄が、この写真にも如実に写っているように思われる。この日もルーシーは、子供たちを案内して、この館のあちこちを回り、三階にある「トーリーの木馬」には、子供たちを乗せて遊ばせてもくれた。このあと、私たちはルーシーとともに簡単な夕食のテーブルを囲み、懐かしい話をいろいろとして、夜、雪のなかを帰った。そしてこれがじつはルーシーとの最後の別れとなったのだった。書きたいことはいっぱいある。記憶があやふやにならないうちに、ぜひしっかりとヘミングフォード・グレイ村の、ボストン館でのことを、ちゃんとした本にでも書いておきたいと思うのだが、はたしてそんなことに興味をもつ出版社があるかどうか・・・。