2008年8月31日日曜日

下関稲荷座

 この絵は、戦前、下関にあった「稲荷座」という劇場を描いたも
のだが、じつは、この劇場は既に亡んで現存せず、こういう写真も
残っていない。残っているのは、ただ明治三十年くらいに斜め右45度
ほどの方向から撮影された写真のみである。私は、この春、下関市
の広報雑誌「083」の創刊号に特集「橋」というのを書いたの
がご縁で、現在はその編集委員にもなっている。そこで、この雑誌
の編集者のF君からのたっての依頼で、その明治撮影の斜め角度の
ぼんやりした写真から想像して、正面から見たところの稲荷座の絵
を描いてくれないかということになり、せいぜい想像力を逞しくし
て、これを描いた。現在発行されている「083」に、これは特
集頁のカラー扉絵として掲載されている。しかし、もともとはこう
いう墨絵で、B4版ほどの紙に描いてある。同特集に坂東玉三郎さ
んが出ておられるということで、この絵では、看板や紋所などすべ
て玉三郎さんのそれに描き変えてある。下関とはそういう面白いご
縁があって、今後とも折々に足を運ぶことになりそうである。下関
あたりは、海があって山があって、古い家並みがあって、私の好き
なところである。

2008年8月30日土曜日

あるウォーターフロント

 Waterfront と言えばなにやら素敵に聞こえるけれど、要す
るに水辺という意味である。この写真は、北品川のあたりのウオー
ターフロントで、ちょうど、昔ながらの船着きが、次第に時代の最
先端のビジネスフロントに置き換わっていく、その過渡期の風景を
見せている。思えば、私どもが大学生のころには、浜松町なんかは
(貿易センタービルなどは例外として)そこらじゅう古いお寺だと
か、黒ずんだ木造の船宿だとか、煉瓦作りの倉庫なんかが並び、
ひっそりとした「東京の田舎」だったものだった。三田の慶應大学
まで通う山手線電車の窓からは、まだ海の一部が見え、和船の漁船
が舫ってあったりしたが、それも今は昔のこととなった。ただ、こ
の風景のなかにも、屋形船がちょっと写っているのが、その頃の名
残というところである。このあたりにはしかし、戦前から続く素敵
な路地の住宅地なんかも僅かながら残っている。そういうのをすっ
かり滅ぼしてしまわないほうが、東京という町の文化的価値の上で
は望ましいのであるが・・・。

2008年8月29日金曜日

普茶料理『梵』




 きょうは、旧知の編集者二人へのお礼を込めて、入谷の普茶料理屋『梵』で会食をしてきた。じつは梵は、私のもっとも尊敬し愛好する純精進料理の店で、普茶料理として、日本有数の名店と言って良い。なにしろ手間ひまのかかった料理ばかりで、毎回四十品目くらいは出るだろうか。見て楽しく、味わって美味しく、しかもほんとうに新鮮な素材を用いた、完璧なお精進だから健康にも頗る良い。それに、竜泉寺裏のこの店の佇まいがまた、いかにも古風で趣深く、しっくりとした個室で、誰にも邪魔されず、タバコや酔漢にも悩まされることなく、静かな清談に時を過ごすことができる。こういう店は、東京ひろしと雖もそうそうあるものではない。それについては、この店の二代目御主人古川竜三さん御夫妻の、温雅なお人柄が反映しているように思える。店のサービススタッフもみな感じよく親切で、しかも、お料理はたいへんにリーズナブルな料金である。私はなにかというと、この梵に予約をして、人を接待もし、自ら楽しみで食べにも行く。とくに外国人の接待には絶好の店である。梵のホームページは
http://www.fuchabon.co.jp/
で見られる。きょうも楽しく美味しい歓談の一時を、感謝しつつ。
写真上は、岩牡蛎見立ての湯葉刺し身、酢蓮等の盛り合わせ。写真中は、お精進の鰻蒲焼きもどき、うざく風。鰻に見えるものの素材は豆腐や海苔など。写真下は梵の店の前にて、御主人の古川さんと。

2008年8月28日木曜日

御殿場

 いくつになっても、昔からの親友というものはありがたい。やっ
と仕事に一段落をつけて、つかの間の夏休みというわけで、大学時
代からの親友二人と、御殿場へ遊びに行ってきた。どんなに風貌は
オヤジになりはてても、会えばたちまちに心は大学生の時代に戻っ
てしまう。そういうことがなによりありがたいことである。御殿場
にはタサキ君(写真中央)の別荘がある。見晴らしのいい、涼しい
山の上である。雨ばかり降っていたけれど、翌日には少しだけ晴れ
間が出て、ほんのわずか富士山も見えた。三人とも酒もタバコもゴ
ルフもやらないので、ただただ近くの温泉に浸かっては、バカ話を
して過ごすのだ。これをみずから称して「三バカ大将」と僭称
(?)している。写真左はもうひとりの親友、ナグラ君。

2008年8月26日火曜日

詩集『青い夜道』



 この一月ほど、私はひたすらひたすら本を書いて過ごした。来る日も来る日も書斎でコンピュータや書物を睨んでは、せっせと文章を書く日々、それは神経衰弱になりそうな日々であったけれど、それもようやく一段落という時がきた。
 今日未明に、やっと、岩波書店からこの秋刊行の『旬菜膳語』の詳密な校正校訂を終えて、ほっと一息ついた。
 そういう厳しい生活のなかで、ふと御褒美のように良いことがやってくることがある。 
 私は、かねてから田中冬二という詩人が好きで、この人こそは、日本語の美しさをとことん突き詰めた、近現代きっての「ことばの貴紳」だと思っている。心が疲れたときに、ふと冬二の詩に目をさらし、その詩の風景に心を遊ばせるとき、私の方寸のうちになんともいえない懐かしいものが満ちてくるのを覚える。それは、過ぎ去ったものへの追憶といってもいい、美しい世界への憧憬といってもいい。その冬二の第一詩集は『青い夜道』という作品で、昭和四年に、長谷川巳之吉の第一書房から少部数発行された。そのうちの一冊が、きょう思いがけず私の書室にやってきたのだ。
 本は縁を以て到る。私が買う、というよりは、本のほうで私に買われてやってくるのである。亀山巌の装訂も、それ自体がまた一つの詩である。ああ、なんという美しい本、そしてなんという美しい詩であろう。この本には現代の復刻複製本も出ているのだが、初版の原本の放つ馥郁たる香気は、復刻には求むべくもない。やわらかな和紙にしっくりと圧された活字の、その印圧の味わい。印刷というものが、たんなるデータを紙に移すというだけの平板なものになる以前の、文字がまだ文字として生きていた時代の、書物という芸術がそこにある。詩集は、昔はこんなにも芸術的な存在だったのである。

2008年8月18日月曜日

創作能『黄金桜』

 きょうは、小金井薪能の第三十回を記念して、新作能『黄金桜』
の初演があった。この能は、小金井薪能から委嘱されて、まったく
新しい創作として私がテキストを書き下ろし、それを観世流津村禮
次郎師が作能した作品である。私はかねてから、新作能といって
も、能の言葉は中世の日本語に依拠した音楽と不可分のものと考え
ているので、言葉は中世の古典語で書いた。しかし、古い革袋には
新しい酒をと、すぐれて現代的なテーマを作劇したものである。人
間がエゴで自然を破壊したりしてはならないこと、自然というの
は、そこに神の宿る神聖なものであること、そこに主題を求めた。
人類のエゴから、地球は温暖化や過度の開発という危機を迎えてい
る。それはある意味では核の脅威などよりも切実かもしれないと、
私は思う。この曲は、黄金桜という神聖な古木を、武蔵守が国守の
館の庭に移植してわが物にしようということを思い立ったのに対し
て、桜の精が桜守の老人に化して示現し、人間の小賢しい考えのひ
がことなるを諭し、やがて代官智泰と共に、満開の桜の花のもと、
美しい舞を舞って消える、という話である。せっかくの記念薪能
だったが、あいにくの悪天候で、小金井公園の野外特設舞台での演
能は不可能となり、第二会場の中央大学付属高校講堂に会場を移し
て初演した。写真は、その第二会場の舞台で、最後のリハーサルに
臨むシテ津村禮次郎師。おかげさまで大盛況、演能としても良い成
果を得たと思う。さて、次はぜひ正規の能楽堂で再演をしたいもの
である。皆様どうかいっそうの御支援を。

2008年8月15日金曜日

醤油アイス

 わが日本の食文化は、発酵調味料の豊潤に、そのもっとも嘉すべ
き特質がある。そもそも菜食を中心として組み立てられた食体系の
もとでは、野菜は肉のような直接の旨み成分が希薄なので、どうし
ても旨みのある調味料を補って食味を豊かにする必要がある。そこ
で、かつお節に代表される魚肉旨みの出汁、それからしょっつるの
ような魚醤の発酵調味料、そして、なんといっても味噌・醤油と
いった植物性の発酵調味料がなくては、日本の食は夜も日も明けな
いのである。そうして醤油はそのなかでもオールマイティのスー
パー調味料だが、これをアイスクリームに和して仕立てるというの
は、近来の快挙ともいうべき発明である。この醤油アイスはまた、
先日紹介せるソルトアイスと双璧の旨さといってもよろしいもの
で、こちらのほうがやや濃厚、それだけに、若干の好き嫌いが分か
れるところかもしれない。以前、私が愛好していたアイスの一つ
に、両国のさる喫茶甘味食堂で出していたオリジナルの「煎餅アイ
ス」ってのがあったが、これは塩煎餅を砕いたものを交えたアイス
クリームで、これまたなかなかの好風味であった。いまはその店が
閉店してしまったせいで、食べられなくなったのはまことに遺憾で
あるが、この醤油アイスやソルトアイスは、その逸失を補って余り
あるものといわねばならぬなあ。

2008年8月11日月曜日

ブルーベリー

 知人に青梅の山持ちがいて、その山でたくさんのブルーベリーが
採れるそうである。それで、つみたての新鮮なブルーベリーを山の
ように頂戴した。友とするによきもの、ものくるる友、と兼好法師
も言っているとおりだ。私は、その実をさっそく甘いコンポートに
作った。作るときに、三温糖と、少しばかりフランス国シャトー・
ナニガシの赤ワインを加えた。この赤ワインも、誰かから贈られた
ものだが、なにしろ私の家は誰も酒を飲まないので、どんな高級ワ
インでも猫に小判。あえなく料理用として使われてしまうという結
果になる。それでもまあ、ブルーベリー・コンポートになったの
は、多少フランスワインらしい用途であったかもしれないから、以
て瞑すべしというところか。で、これを瓶詰めにして、よく冷や
し、プレーンヨーグルトに和して食べると、まことにけっこうなる
デザートになる。うむ、目にうつくしく、鼻に芳しく、そして口に
おいしい。なお目の養生になり、ヨーグルトは腸の薬と心得て、
さっさといただいた。医食同源、善哉善哉!

2008年8月9日土曜日

枕草子

 
 しばらく前から、『小説NON』(祥伝社)という小説雑誌に、
「リンボウ先生の枕草子うふふレクチャー」という連載を書いてい
る。もともとは近世文学と書誌学文献学の専攻で、平安時代文学に
ついては門外漢だったのだが、その後、近世の小説などはどうもつ
まらない、ということを強く感じるようになり、それと同時に『源
氏物語』や『枕草子』に強く惹かれるようになった。やはり、文学
としては、こちらのほうが一流の高みにあるということは動かな
い。それで、以前も、東横学園短大で、近世文学を教えることにウ
ンザリして、「近世文学演習」という授業の枠のなかで、北村季吟
の『源氏物語湖月抄』を講読したことがあった。近世の学者がどう
源氏と向きあったか、ということを建前として、要するに『源氏物
語』のほうがはるかに面白いということを学生にも教えたくなった
のだ。この写真は、家蔵の『枕草子春曙抄』江戸前期の刊本である
が、これまた碩学北村季吟の注釈書である。季吟は、主要な古典文
学のあれこれに、こういう頭注傍注をつけた注釈書を著したが、そ
れは今日でも古典研究には必須の大業績である。昔の俳人というも
のは、いまの大学教授を十人あわせたくらいの素晴らしい学識を身
に付けていたのである。それにしても、『枕草子』という作品の面
白さ。なんだか、世間では源氏千年紀なんてことばかりが持て囃さ
れているなかで、源氏と同時代の『枕草子』も、日々勉強するほど
に、その面白さと凄さが身にしみてくる。それゆえ、ぜひこの『小
説NON』の連載をお読み頂きたいと切望するのである。

2008年8月6日水曜日

ソルトアイス

 じつは何を隠そう、私は大のアイスクリーム好きである。昔は
もっとたくさん食べたが、超低脂肪食の生活になってから、ほんら
い高脂肪高カロリー高糖分のアイスクリームは食べ過ぎると毒だか
ら、ごく控えめにしているところである。とはいえ、どうしても本
来好きなものはしかたがない。先だって、熊本に出かけたとき、そ
の城下、古町において、ソルトファームという店の前に「塩アイス
あります」という看板がでていた。むむっ、塩アイス! これは素
通りできぬ、とついつい立ちよって一食したところ、これがばかに
美味い。即座に東京まで送ってくれるように注文したのだった。沖
縄の和三盆と天草の天日古代塩の配合というものだが、なんとして
も不思議なほど奥行きのある美味である。12個注文したのは、瞬く間
に食べて、つい昨日、最後の一個を食べ終ってしまった。ああ、ま
た食べたいなあ。

2008年8月5日火曜日

六本木ヒルズ

 つい先頃、老父が92歳の誕生日を迎えた。
 そこで、私どもと、息子夫婦も交えて、お祝いの一席を設けたの
だが、ちと子細あって六本木ヒルズの51階という空の上で懐石料理を
食べた。六本木ヒルズなどというところへは一向に足も踏み入れな
いのだが、たまさか行ってみると、内部構造の複雑怪奇、方向感覚
がマヒすることこの上なく、まあ、あまり愉快な建物ではない。た
だし、その料理はなかなか丁寧に作ってあって、それなりに美味し
かった。窓から見ると、東京の夕景が一望できて、この写真には
写っていないが、すこし右に東京タワー、さらにもうすこし右には
レインボウ・ブリッジも見える。六本木というところは、こんなに
も海に近いのかと、いささかならず驚かされる。そうして、暮れな
ずむ東京の風景を眺めていると、ああなんと美しい町だろうかとい
う感が深い。私は東京っ子なので、やっぱりこの東京の風景には愛
着がなみなみならずある。ただし、こういう高層ビルに住みたいか
と聞かれたら、言下に答えよう。それはぜひともご免を蒙りたい、
と。これはたまさか行くのは良いとして、決して人の住むところで
はないと思った。

2008年8月3日日曜日

小金井薪能『黄金桜』


この8月17日(日)に、都立小金井公園において、第三十回の小金井薪能が開催される。津村禮次郎師と私が、三十年余の昔に、この小金井公園の夜桜(当時は、夜は森閑と鎮まってひと気なく、よい眺めであった)の下を散策しながら、こういう桜花月影のもとで薪能をやったら素晴らしいでしょうね、と語りあったのが、そもそもの始まりであったことを思うと、それから三十年という月日を重ねてきたこと、万感の思いがある。その三十回を記念して、今年は、はじめて新作の能を出すことになった。そこで私が詞章を創作し、津村師が付曲して『黄金桜』という曲を作った。夜桜のもとの空想から始まったことを思うと、なにやら不思議の感がある。その『黄金桜』の稽古も、今や佳境に入っている。この写真は、津村師の御自宅稽古舞台における稽古風景。左が津村師、右は、ツレ代官役の桑田貴志君。初演の舞台、乞う御期待、というところ。ぜひ皆様揮って見物にお出で下さい。JR武蔵小金井駅みどりの窓口でもチケットを扱っているほか、小金井薪能事務局でも承り中。電話042-387-1712,またはファックス042-385-9237、ただし電話受付は平日(除、土・日・祝)の午前10時から午後五時まで。

2008年8月2日土曜日

蕎麦の名品ここにあり

 なにしろ、私は蕎麦というものが無二無三に大好きで、それも手
打ちの生粉打ちで、いっさい海苔などもかけない、盛りそばに限
る。しかも、蕎麦は、細くてつるつると喉越しの良いのが身上で、
ゴソゴソと太いのなんかは気に入らない。またツユというものが大
切で、有名な老舗なんかでも、実際に行ってみると、ベタベタと
甘ったるいツユに閉口することなど、珍しくない。信州あたりで
も、蕎麦は良いんだけれどツユが不味いという店が、また結構多
い。結局、蕎麦が良くって、ツユが良くって、なおかつ、食べ終っ
てから、煮え立った熱い熱い蕎麦湯を、タイミング良く出してくれ
るなんて店でないと、どうも感心しない。この写真の蕎麦は、(写
真が宜しくないので、蕎麦の美味しさが十分に表現されていないの
は遺憾だ!)府中市の「心蕎人さくら」という店の「せいろそば」
で、石臼自家製粉生粉打ち手打ち正真の名品である。まだ若い主人
がせっせと打っているのだが、よほど修業がよかったのか、才能の
しからしむるところか、近年出色の旨さである。蕎麦が良くってツ
ユが良くって、そして蕎麦湯が良くって、いつも感心しながら、そ
の馥郁たる蕎麦の薫りと喉越しと歯ごたえを楽しんでいる。きょう
もちょいとひとっ走りこれを手繰りに行ってきたところである。

2008年8月1日金曜日

雄松堂界隈

四谷の近くに、雄松堂書店という出版社と古書店を兼ねた会社があ
る。主に洋書を扱う老舗だが、この会社がゲスナー賞という学術的
な賞を主宰している。これは書誌学的な分野の書物を顕彰しようと
いう賞で、隔年に応募作を募り、「書誌」部門と「本の本」部門と
二部門に分けて、厳正な審査を経て受賞作を決める。現在その審査
が進んでいるところだが、その為に雄松堂書店本社で一日本を睨ん
で過ごした。終って会社から出てくると、ふとその社屋の脇の小路
に心惹かれるものを感じた。どうということもない細道なのだが、
こういう風景のなかに、東京の山の手の、ある独特の雰囲気が漂っ
ているのを感じる。それは根津下谷あたりの下町の路地ともちが
い、郊外新開地の立派な道路とも違う。いわば昭和の住宅地の空気
がまだ消え残っているような、そんな味わいを感じるのである。近
年、この小路はごらんのような石畳になって、それがまた、ふいっ
と右のほうへ曲って行くあたりに、「ああ、この先に何があるんだ
ろう」と思わせてくれるところがある。風景としては、そんなとこ
ろも面白いのである。